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<学芸員資格の取得方法> 

          柳井哲也の場合

*以下は平成15年の記述で、現在の牛久市の芸術文化の振興は大幅に向上している。
 
 牛久市には、現在博物館がない。全国的にも珍しい自治体だと思う。私は50歳にな って直ぐに、玉川大学で学芸員コースを履修した。ギャラリーの経営に関心があったこ と、資料館や美術館巡りが私の趣味だったので、思ったら直ぐに入学手続をしていた。
 12科目の中、今最も役に立っているのが「生涯学習概論」である。自治体に公民館が いくつあるべきなのか、公民館と博物館の違い、博物館にはどのようなものがあるのか、 学校・大学・図書館・カルチャーセンターとの関係、社会教育が生涯学習に変わってい った理由、国際的な流れと関係、いつでもどこでも誰でも学びたいときに学べる場が用 意されていること等々、私自身が関心をもっていたことを整理することができた。
 「教育の原理」「視聴覚教育メディア論」は、博物館活動において最大限生かされな ければならないものである。牛久市の場合、真の意味での生涯学習機関が未だに整備さ れてないため最も遅れている部門である。しかし牛久市の3つの公民館が生涯学習セン ターに名称を変えたとき、改めて生涯学習機関として市民サービスを行っていくと条例 で定めたので、以後少しずつ教育的機能を持つ形を取り始めている。
 「日本美術史」は、日本が韓国や中国を通じて如何に世界の影響を受けてきたのか、 生活様式や宗教・思想の具現物として捉えることができたし、日本独特の美術が幾多の 危機に見舞われながらも守られてきたこと、茨城とこの地に関係した著名な芸術家たち の功績等々、身近なものであるだけに興味が尽きない。
 「西洋美術史」は、古代ギリシャの国家とその文化が如何に質の高いモノであったか、 それに続くキリスト教が人々の考え方や生活に与えた影響の大きさを確認することがで きた。政治が時代によって左、右と交互に入れ変わってきたように、美術の世界も全く 同様に変化しながら今日に至っていたのである。
 「考古学」は、これまで先人が辿ってきた足跡を土の中を調査しながら発見すること なので、これまで知られていない新事実が出てくると大変なことになる。茨城県教育財 団は、県内各地の発掘調査をやっていますが、私はその補助作業員として10月~正月 明けまで寒風にさらされながら来る日も来る日もアール状の移植小手を持って発掘作業 のイロハを学ばせていただいた。私の家の直ぐ近くに古墳群があり、小学6年の時その 一つを地元中学の郷土クラブが発掘調査したのを見ていたので、もう一度感動の経験をしてみたかったのである。
 「民俗学」は、地域で行われてきた芸能、行事、まつりごと、習俗、伝説、言い伝え、 季節や農作業に関係する風習、子どもや大人の昔から続いているレクリエーション等々、 遊び感覚で調査できるモノから微妙な問題を含むものまで、聞き取り調査を中心に行う モノである。子どもの遊びの変遷を調べるだけでも非常に面白く、その時代を反映して いることに気付くのである。
  「自然科学史」は、当初西洋文明史のような感じでスタートしたのだが、中世から近 世にかけて中国の科学は西洋を凌ぐモノが多く、私たちが小中学校時代に学んだモノと はかなり違っているのを感じた。科学の進歩は、時代によって革命といわれるほど発展 して現代に至っているのであるが、アインシュタインや湯川秀樹の頃から、科学はその 対局にある形而上学と合体するような内容に思えてくるから不思議である。
 最後に「博物館学Ⅰ」「博物館学Ⅱ」「博物館学Ⅲ」は、総論、各論に分かれていて、 総論を完璧にしておかないと各論につながらないし、各論を学んだらまた総論に戻ると いう関係にある。私は、日本には校倉造りの正倉院が今も厳然として残っており、博物 館に関するいろいろなノウハウは、外国に劣らず高いレベルを保っていることを誇って よいと思っている。特に博物館資料の管理保存は、通常温度や湿度を強制的に管理する 西洋式方法を採用しているが、日本の気候や風土にあった自然通風管理方式を軽視すべ きでないと思っている。国内美術館の収蔵庫の多くが、電気料の高さに堪えきれず OFFにしているという現実を目にしたとき、その思いを強くするのである。
  博物館活動には、資料の収集、保存、調査研究、教育(公開展示)と4つに大別され るが、これに携わる学芸員にはきわめて高い倫理が要求されていることは、今日の新聞 報道を見ても明らかである。以上4つの中で何が一番重要視されるかについて、個々人 によっていろいろあると思うが、甲乙付けがたいのではないか。以前は「調査研究」が 最も上位にあって、「公開展示教育」は低く見られていたが、現在はその逆になってきて いて、能力のあるキュレイターの展示説明が何にも増して望まれているようである。最 も優れた生涯学習機関は博物館であり、「学習及び教育」のために資料の収集・保存・調 査研究があると考えれば当然であろう。教育部門が失敗すれば、優れた研究も水泡に帰 すし、利用者減少につながり、博物館そのものの存立も危うくなるからである。
 「博物館実習」は、資料の収集や保存・修復の方法、展示資料の貸し借りの手順や扱 い方、資料展示の方法等、いわゆる博物館活動のポイントを身につけるため4人毎のブ ロックで繰り返しおこなう実技指導である。本物の資料(弥生式土器など)を扱うため、 間違ったら大変な損害を出してしまうわけで、生徒も真剣であるが教授も同様に大きな 責任を負っている。12科目毎に教授より二つの課題(レポート)が出され、それぞれ通過できるまでキャッチボールをしなければならない。レポートや試験は一回で通らないと次は全く別の課題に変わってしまうので、早くクリアしたかったら、集中してやればよいということになる。レポートはテキストを基本にしながらも近くの博物館に出向いて、自分がそこの学芸員であったらどのようにしていたかを具体的に論述していくという方法を採っているので、仕事を持っている人は大変なときもある。このように調べていく中に、私はレポートの中に牛久市について殆ど書けないことに気付いたのである。牛久市には博物館がなく、学校教育に於ける視聴覚教育の実態も非常に未熟だった。当時の中央公民館の視聴覚室が殆ど利用されていなかったからである。考古学と民俗学については、「牛久市史」がまとめられていたので、近隣の資料館を観察しながら無理にまとめたのを覚えている。
                                           柳井 哲也
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