東京駅よりも美しい世界一の西洋館「シャトーカミヤ」
シャトーカミヤは、2008年(平成20年)6月9日文科省文化庁より国の重要文化財に指定されました。時計塔付き本館(旧事務室)・神谷傳兵衛記念館(旧醗酵室)・レストランキャノン(旧貯蔵庫)のワイン醸造場施設です。巨大なレンガ造り長屋門を本館として、長屋門の西面に事務所玄関(二階は大広間バルルーム)、東面に和室玄関(神谷氏居室・階段室)と貴賓室玄関(二階は貴賓室二間)を設けています。外観上は東西両端部にマンサード屋根を載せたフレンチ・ルネッサンス様式を基調とし、中心右寄りに時計塔を立ち上げ、非対称の構造となっています。にもかかわらず全体的なバランス・色・レイアウトを含めて姿形が美しいばかりでなく、本館内部は宮殿のような豪華さで、牛久市民の宝物的西洋館です。
2012年10月、東京駅の大改修が完了し、新築当時の状態に復元されたことが大きく紹介されました。規模の大きさ、高さとのバランスの良さ、明るい色調の優雅さ等々、設計の辰野金吾が賞賛される所以です。
シャトーカミヤを設計した岡田時太郎は、佐賀県唐津市出身で、生まれ育ちが辰野と隣同士で互いに金吾チャン、ときチャンと呼び合う間柄でした。時太郎は辰野の親しい建築家山口半六の下で修業していましたが、明治19年同郷のよしみで、山口のもとから辰野の所へ移ることになり、辰野建築事務所の開設に参加しています。明治21年、辰野が日銀本店の建築家に選ばれますと辰野に随行して世界一周国立銀行巡りに旅立ち、途中ロンドン大学造家学科に六ヶ月在籍しています。時太郎は、明治28年から日銀本店の現場監督として働き、明治29年に竣工しました。
明治32年(1899年)、時太郎は独立を決意し、東京に岡田工務所を設立しました。「シャトーカミヤ」の設計は、この時期の作品で、時太郎が作成した土木建築経歴書に「牛久葡萄園醸造場及び事務所/茨城/牛久/煉瓦/三棟/三五〇坪/一九〇三」が記載され、同年の作として「旭川酒精製造株式会社工場及び事務所」も記されています。神谷傳兵衛は、総レンガ造りのシャトーカミヤと旭川工場を同時に建設しています。
因みに辰野は、現東大建築学科の第一回生として入学し、明治12年に卒業しました。日本初の建築家として活躍し、「日銀本店」、日本橋の「旧帝国製麻ビル」、「第一相互館」、「東京駅」等の設計をしています。
岡田時太郎のシャトーカミヤは、最も美しいフランスジェロント州のシャトーを参考にしながらも伝兵衛の住居部分は和室とするなど独特の設計をして、1903年(明治36年)に建築されました。和室の前に広がる日本庭園の素晴らしさや西側の鮮やかなグリーンの芝生を基調とした洋風庭園などすぐれた設計に驚かされます。特筆できるのは、シンボルの時計塔が当代きっての歌舞伎俳優中村時蔵からの寄贈であったことです。神谷伝兵衛と多くの大物政治家や文化人との交友が知られていますが、そこで身につけた様々な文化や様式を設計者である時太郎に伝えられ、その結晶がシャトーカミヤに成ったものと思われます。