日本で初めて6次産業化に挑戦し成功した神谷傳兵衛〖先人に学ぼう〗
近年「農業を成功させるには6次産業化すること」と言われていますが、傳兵衛さんは牛久の地で明治34年(当時45歳)から実践していました。明治29年に常磐線牛久駅が開通するや翌年女化原を120町歩購入し開墾。ボルドーより葡萄苗六千本を調達し葡萄園を経営。明治34年建築した醸造場で日本初のワインを製造。赤レンガで名高い本館は、明治36年に事務所として建設、111年経過した今も変わらず輝いています。
当時ワインは輸入品のみで医薬用として使われました。傳兵衛さん自身17歳の頃医師に見放されたにも拘らず雇い主のフランス人にワインを頂き、生還した体験があるだけにその効能には確信を持つことができました。しかし西洋人に「滋養があり毎日少しずつ飲むのが効果的です」と言われても、庶民には手が届かないし、日本人の嗜好にも全く合いませんでした。「体に良くて、安くて、女性にも口にしやすい蜂蜜入り葡萄酒」を世界で初めて製造したのが和魂洋才の人、傳兵衛さんです。「牛久葡萄酒」は、英国やフランスの博覧会等において金賞牌を獲得しており、また明治37年にはフランス政府より葡萄樹栽培から瓶詰作業まで一貫して行う本格醸造場にだけ許されるシャトーの称号を頂くことができました。
酒の小売りからスタートした傳兵衛さんは、こうして経営の多角化(6次産業化)を達成したのです。販売促進には特に力を入れたため日本全国どんなに田舎の酒屋さんにも「蜂印香竄葡萄酒」(のちのハチブドー酒)があったそうです。夢の飲み物を開発生産し且つ優れた点を消費者にしっかりと伝えることも忘れなかったのです。私達は、傳兵衛さんの生き方に学び、この優れた遺伝子を引き継いで行きたいものです。
シャトーカミヤは、3.11で大きな被害を受けましたが、復旧作業が進んでおり、日本を代表する国の重要文化財(平成20年指定)として、更に存在感を増していくものと思われます。牛久市のワインビレッジ構想は、シャトーカミヤを中心に市民にとって快適な「夢の街」づくりを展開するものであり、牛久駅周辺の整備から着々と進められています。
柳井てつやは、「牛久に美術館をつくろう」を目標に掲げ、牛久市の農業、商工業教育、福祉、道路など様々な街づくりに地域の歴史、伝統や文化を組み入れていくことが自分の役目であると考え精一杯働いて参ります。皆様のご指導をお願いします。